2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧
家康さんが江戸に来る前から現代までの東京の歴史が金に糸目をつけないと見える展示物で示されていて、学童の群で一杯だった。しかし外国人の個人客も多くいて熱心に見て周っているのにちょっと驚いた。以下戦時中と戦後すぐの展示から。 「江戸東京博物館」…
上の写真は三ノ輪の生家である「履物店」の前の荒木経惟。 両国にある奇妙な東京を象徴するような奇天烈な設計の建物「江戸東京博物館」で、荒木経惟の写真展「東京人生」を12月24日までやっている。 荒木経惟ことアラーキーは昔から気になる同時代人の…
07 駅近くの労働公園に面したホテルの33階より見た夕暮れ M.Kさんから送ってもらった今年6月の大連の画像の続きです。大連の街並みを写真で見ているうちに思い出したことがあります。昨年、中国各地の反日デモが日本で報道された頃、大連の中国語学…
西郷さんの銅像が公開された式のときにミセス西郷が、「夫はこんなかっこうで外を歩いたりしなかった」と嘆いたというエピソードを知って、写真でしか見た事が無い銅像を見たくなりました。明治天皇のとりなしで逆賊から功臣の扱いにはなりましたが、時の政…
01 中山広場 大和ホテル. 古代菊の画像を送ってくれたM・Kさんから大連旅行の写真を送ってもらいました。 もらったメールにこう書いてありました。 「ブログの大連の記事(クリック)を読ませていただきました。 この前お話しましたが、今年6月始めにアカ…
「今年初めて育てた古代菊(肥後菊?)が咲きました」と千葉県印旛郡にすむ40年来の友人M・Kさんからメールが来ました。 私は菊に古代菊と言う種類があることも知りませんでした。 webで調べたら「古典菊は平安時代・鎌倉時代に嵯峨菊と伊勢菊が、 江戸時…
旅行のオリジナル行程ではブナ林の散策は一時間になっていました。しかしシーズンのピークとあってか、旅行社が青森空港発のフライトを抑えられなかったらしく、帰りは遠い秋田空港から,しかも17:20発と言う遅い時間の飛行機になりました。幸か不幸か、その…
男鹿半島から十二湖へ移動する山中は薄日が射してきれいな紅葉を楽しむことが出来ました。バスの窓から石灰岩が露出している白い崖ー日本キャニオンーが見えましたが、キャニオンと言う言葉を使うのはアメリカのご本家が知ったら怒るやろなと思う程度の小さ…
ブナ林の中は一時間ほどで周回できる道が整備されていました。 山道だからトレッキング用の靴を用意するようにと旅行社から言われていたので、その積りで行きましたが、他の観光客の中にはタウンシューズのままの人も多く、年配の女性や子供連れの若夫婦がじ…
十二湖と言う場所に行き紅葉を楽しみながら、「青池」まで歩きました。「青池」は想像したより小さな池でしたが、なるほど不思議な青色をした池でした。 これは鶏頭場という池で「イトウ」を養殖しているそうです。 十二湖はこの図の左上の赤く現在地と書い…
男鹿半島にある北緯40度の入道崎には40度の石碑と灯台と土産物屋だけがありました。 それぞれの土産物屋の前には客引きの「なまはげ」クンが立っていました。テープの音声は風に吹かれて殆ど唸り声だけしか聞こえず、その姿は哀愁を帯びて他人のように思えず…
男鹿温泉のホテルのロビーに「なまはげ」の人形が飾ってありました。赤なまはげと青なまはげがあるのは初めて知りました。なまはげを見るといつもニューギニアからフィリピン、台湾を経由してこの島へ渡ってきた遠いご先祖の神さんなのか、当時は地続きだっ…